[ NEWS & REPORT ]

2020.08.21/ 活動報告

建築家・大宇根弘司氏の挨拶

2020年7月21日(火曜)

「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」設立総会

大宇根弘司先生 発言抜粋

宮城県美ネットの顧問である建築家の大宇根弘司さんは、宮城県美術館本館の建設当時は前川國男設計事務所のチーフとして設計に携わり、その後1990年には佐藤忠良記念館の設計も手掛けました。設立総会では、宮城県美術館の初代学芸部長の酒井哲郎さんに続いて登壇され、宮城県美術館の設計について、建築の価値を取り巻く状況について語っていただきました。

大宇根建築設計事務所

https://www.oune-arch.co.jp/

【美術館は学芸員の主戦場】

 宮城県美術館をつくる時に、酒井哲郎さんは準備室に学芸の責任者としていらっしゃって、今のような穏やかな話はあまりなくて(笑)、「建築家はなんでも勝手なことをやりたがるから困る。美術館は学芸員の主戦場だから、学芸員の言うとおりにつくってくれ」ということで、いろんな提案をしても、なかなかすんなりと受け入れてはもらえませんでした。

 一番わかりやすいのは展示室で、すべてが4mモジュール(単位)なんです。宮城県美の前に山梨県立美術館を3mでやったんですけれども、3mだと制約が出てくる。作品の移動に困ったりするので、宮城県美は4mにして、展示室全体を16m×40mにして、天井もいかようにでもできるようにしました。すべて学芸員で現場を仕切れるように、と。どこに展示壁を設置しても照明が不自由のないようにということで、天井もすべて格子状になっています。自在に展示のストーリーが作れるように、という要求に応えています。

 さらには、宮城県美は日本画も多く収蔵していて、日本画はケースに入れないと傷みやすいということで、固定展示ケースを壁面にしつらえてあります。一方で、洋画もたくさんあって、それはケースの中だと困るわけです。そういうことでどちらの展示もできるように、尚且つ、展示ケースを使っていないときには、観ている人にそこに展示ケースがあることが分からないようにしてくれということで、展示壁面で隠すような工夫をしました。

常設展示室のガラスケース。使用しない時は壁面で隠すことができる

 それから、東京都の現代美術館は高いところで天井高10mくらいの展示空間があるんですけれども、宮城県美は学芸員が自在に展示ストーリーをつくれるように高さは4m50cmが限界だろうということで、4m20cmになっています。展示室の壁も、いろんな注文があって四苦八苦しながらできた空間です。

 その四苦八苦は、酒井さんと僕だけだったら僕が譲ればいいわけですけれども、僕の後ろには前川國男という偉い先生がいるわけですから(笑)、酒井さんはじめ学芸員の方々の注文を聞いて「こう言ってますよ」と帰って報告すると、「そんなんじゃ出来ないじゃないか」と怒るわけなんですよね(笑)。そんな感じで行ったり来たりしながらまとめたのがこの美術館になります。

【これまでのコンクリート建築の経験が宮城県美に活きている】

 外壁の話は何度かしたので聞き飽きた方がいるかもしれませんが、あれも酒井さんはじめ学芸員の皆さんが「前川事務所の建築はどれも濃茶のタイルだ。ああいうのは駄目だ」「宮城県らしいのにしてくれ」ということで、いろいろ材料を集めて取り組みました。技術的な話をすると長くなるんですが、これもかなり四苦八苦してああいうものになったんです。

 前川國男という人は、コルビュジエのところから帰ってきて、日本の近代建築を作り上げた人なんです。トップランナーだった。その時の表現の主たる材料は何かというとコンクリートなんです。構造も外壁も内部までもコンクリートむき出し。さらに日本は当時貧しかったわけですから、何とか建築を工業化して、安いコストで安定した技術でできるということを極めないと本物にならないということで、さまざまなことを前川事務所ではトライしてきました。

 分かりやすいのは、「プレキャストコンクリート」です。コンクリートを現場で作るのではなく、工場で作ってパネルにして現場で組み立てる、というようなことを先駆的にやったわけです。僕が入ったのは1965年で、先生はちょうど60歳だったんですけど、それまで30年さまざまなことにトライしてきていて、その結果、コンクリートは非常に傷みが激しくて、これではとても日本の建築、あるいは街の景色をつくれないとなった。

 それでどういうことを始めたのかというと、現場で打ち込むタイルを開発したわけです。東京・上野の東京都美術館をみていただくと分かるんですが、あれはレンガではなくて、コンクリートの壁にタイルを打ち込んでいます。コンクリートに直接打ち込むわけですから取れない。非常に迫力があって、先生はそのパテントをとって、「これで日本の景色が良くなる。焼き物は日本のお家芸だし、これだ」といって、埼玉県立博物館や熊本県立美術館、埼玉会館にトライしていきました。僕が入所した時はそういう時期でした。建築界がこぞって拍手してくれたんですね。それで先生も気をよくしていたんですけれども、やってみると欠陥も出てくる。その頃に山梨県立美術館をやれ、ということになって、先生は打ち込みタイルでいいじゃないかと言うんですが、コンクリートの躯体にタイルを直接打ち込むとその隙間から水が入って、内部のコンクリートから滲み出してしまうという事故がありました。その矢先に、先生は「山梨はそれでやれ」ということを言うんですが、「本当にいいんですか?」というと、「じゃあ考えろ」ということで。ちょうどその前に、丸の内にある東京海上火災の本社ビルもやっていまして、あそこはコンクリートのパネルを鉄骨に取り付けているんです。それと同じやり方で山梨県立美術館をやったらどうか、ということで、やってみました。その山梨の現場に宮城県美の準備室の方々も見えてご案内したところ、気に入ってくださって、そこからやり取りが始まったんです。

 「100年」というのは、コンクリート自体は汚れを気にしなければ外壁でもかなり持つんですが、非常に傷みやすく汚れやすい。タイルを張るとかなりの確率で落ちる。だからタイルは怖い。ではどうするかということで、打ち込みタイル、その後にプレキャストのパネル、ということで宮城県美はそれで出来ているわけです。だから、「宮城県美100年」というのはまだ実証されていないけれども、コンクリートの外壁を長持ちするパネルで保護していますからこれが傷むということはそうそうないだろう、ということで「100年建築」と言っている訳です。

【省エネにも対応した外壁】

 最近では省エネ、地球環境対応をどうするかという話が非常に重要な課題になっていて、それにどのように対応して問題のない建築にしていくかということがあるんですが、分かりやすく言うと外断熱でやるんですけれども、宮城県美そのものはやっていないけれど、うまい具合に省エネにできている。佐藤忠良記念館では外断熱に取り組んでいますけれども、やってみると非常に良い手法だと言えます。タイル打込みプレキャストコンクリートは、かなり高価です。宮城県美では採用できましたが、今、コンクリートの壁の外に二重にプレキャストコンクリートの壁をつくるというのは施主さんの理解がないとやらせてもらえない。じゃあどうするかというとレンガを積むことなんですね。僕は今そのように取り組んでいます。宮城県大崎市に「パレットおおさき」(1998年/設計:㈱大宇根建築設計事務所)という生涯学習センターがあります。そこは地震対応もしっかりしていて外断熱で外側にレンガを積んでいます。あそこは宮城県美よりは安心して「100年」と言えるかもしれない(笑)。宮城県美も大丈夫ですけど、パレットはもっと大丈夫(笑)。

【建築でいい街をつくって人々に幸せを】

 建築って結構大変なんです。そういう大変な思いをして、少しでもいい建築を、少しでもいい街を、少しでも建築でいい街をつくって人々に幸せを、と思ってやっているんですけど、どうして宮城県美はこういう問題になってしまうんだろうと。建築は県の文化を支えるものだという考えがないんでしょうね。宮城県の状況は知りませんが、建物の設計者を決める時はほとんど入札なんです。一番安い設計者が一番いい設計者だということになる。全国的に見ても8割がた入札です。そんなことで良い建築ができるわけはないので苦労しているわけですが、生活を支える建築の位置づけがそういうことになっている。

 今回、非常に感動しているんですけれど、宮城県美ネットのような動きが出て、これはきっと成功すると期待しているんです。同じようにこれからつくる建物も放っておかないでほしい。我々の環境をつくるわけですから県民がしっかり納得できる形でやりましょう、という運動をしてほしい。規約も「入会金」ということで今回はなっていますが、宮城県の建築が良くなるまでずっと運動してほしいと思っています(笑)。東大の先生が東大の古い校舎の増改築をやっているんですが、あそこは宮城県美よりもずっと古いわけです。それを一生懸命やっている先生が総長に相談したいと面会を申し出たところ、「業者は入らないでくれ」と秘書が言ったという逸話があります。建築家は、情けないことに業者なんですよ。僕が宮城県美をやった時もそうですけど、営繕課長以上には会わせてくれなかった。「部長には僕から説明しておきます」と言われて、決定権を持っている人たちに話をすることができなかった。当時もそうだったから、今はもっとかもしれない。そういうこともあって、ぜひ、これを契機に宮城県に素晴らしい建築ができるように皆さん1000円を払い続けてほしいと思っています(笑)。その暁に、宮城県には100年後に素晴らしい財産ができると、そうなると皆さんのお名前が永遠に残るのではないかと思っておりますので皆さんにもぜひ力強くサポートしていただきたいと思います。私も頑張ります。ありがとうございました。

左:大宇根氏 右:酒井哲朗氏(宮城県美術館初代学芸部長)