2020.11.27/ 活動報告
2020年11月21日に、宮城県美ネットとして2回目となるシンポジウム「崖の上の美術館―宮城県美術館の立地と地層―」(会場:エル・パーク仙台 6階スタジオホール)を開催しました。
まず、今回のシンポジウムの趣旨について森一郎事務局次長より説明がありました。(以下、コーディネーターとして当日読み上げた趣旨説明文をほぼ再現して掲載します。)
「このシンポジウムのメインタイトルは、『崖の上の美術館』です。広瀬川の河岸段丘の上に建つ県美にふさわしいこのネーミングは、次にお話しされる西大立目さんのグッド・アイデアです。事務局会議でこのタイトルに決めたとき、まさに『崖っぷちの美術館』だね、とみんなで笑いましたが、顔はみな引きつっていました。自虐というか、悲壮感が漂っていました。先週13日の金曜日の定例ミーティングでも、『とにかく署名運動を必死で頑張ろう!』と切迫した面持ちで激励し合いました。ところが、です。週明け16日の月曜の昼、知事が県美移転計画を撤回という電撃的ニュースが駈けめぐりました。そう、「崖っぷちの美術館」はギリギリの瀬戸際で残ったのです。県美を愛する宮城県民のチームワークの勝利です。皆さん、本日は、喜びと感激を共に分かち合いましょう!(拍手)
というわけで、とてもタイミングがいいのですが、このシンポジウムは、『おめでとう、お疲れさまでした』会として企画したわけでは、もちろんありません。『移転集約を推し進める県の動きをストップすべく、美術館の立地の良さを確認し合い、現地存続を県に何としても働きかけよう!』というのが開催趣旨でした。しかも、川内の立地と地層について専門の先生方にお話しいただくという、学術性の高い講演会です。その一方で、『ここはブラタモリならぬブラケンビと行こう!』という軽いノリもありました。テレビに出てくる案内人に負けない三人の豪華ガイドをお招きして、川内をめぐる知的散歩を呑気に愉しむという趣旨が、企画当初からあったのです。そうはいっても、『崖っぷちに立つ県美を救え!』と声高に叫び合う集会になるだろう、と予想していました。幸いにも、われわれの悲願は叶えられる見込みとなりました。元々の企画趣旨にあったように地層と立地についてのんびり学べるようになったことを、心より喜びたいと思います。
続いて、三人のゲストをお呼びした経緯について一言ずつ申します。
まず、蟹澤聰史さん。事務局会議で、ブラケンビにふさわしい講師として最初に名前が上がりました。河北新報の『持論時論』に二度投稿され、県美を愛する者たちの中では、つとに有名な方です。東北大関係者の『宮城県美術館の移転計画中止を要望する有志の会』に賛同いただいていたので、登壇をお願いしたところ、ご快諾いただきました。
次に、大槻憲四郎さん。家内の通っているジムでバイラバイラを一緒に踊っている東北大名誉教授は活断層にも詳しいと聞きつけ、これはお願いするしかないと、ラブレターを家内に託したところ、ご快諾いただきました。長町―利府断層帯に大変詳しい専門家です。大槻さんがお話しされる前に、県が宮城野区への移転計画を諦めたのは正解でした。
最後に、井上研一郎さん。美術館の実情に詳しい専門家からお話を伺いたいと願って、各方面に相談したところ、ご推挙いただきました。北海道の美術館に学芸員として長く務められ、宮城学院女子大では学芸員課程の教育を担当されたとのこと。先日は、街頭署名とビラ配りのお仕事、お疲れさまでした。
では、皆さん、ブラケンビを存分にお楽しみください。」
続いて、西大立目祥子共同代表より、これまでの活動報告がありました。
「まずは、宮城県より宮城県美術館の現地存続方針が出されたことについて、これまで宮城県美ネットの活動にお力を貸してくださった皆さんに御礼を申し上げたいと思います。一安心したという気持ちが大きいですが、一方で、今回の決定につながった要因の一つとして、宮城県が宮城県美を民間企業に売却を検討していたが叶わなかったことも明らかとなり、芸術文化や教育に対する行政の態度について不安が残ったことも確かです。
今回のように、『県民が声を上げることで状況を変えていった』という経験は、私たち宮城県民にとって初めてのことではないでしょうか。私たちは、これからも行政の動きを見続けながら、県民が自ら声を上げていく状況をつくっていきたいと思いますので、皆さんも一緒に頑張っていきましょう!」
講演①「仙台の文化を支えた広瀬川」
蟹澤聰史(東北大学名誉教授/地質学) 司会:花輪公雄
いよいよゲストの皆さんによる講演です。。
最初に、蟹澤總史さん(東北大名誉教授)より「仙台の文化を支えた広瀬川」と題してご講演いただきました。蟹澤さんの専攻は地質学で、とくに岩石学や地球科学をご専門にされています。そうしたお立場から、今回は川内地区の地質を中心にお話をいただきました。
「宮城県美術館の広瀬川沿いはまさに『崖』のごとき様相で、広瀬川が蛇行を繰り返して流れているからこそ、長年にわたる浸食によって剥き出しになった地層を見ることができます。この露わになった地層から分かるのは、800万年前の火山活動の溶岩である「三滝玄武岩」、かつては海だった「竜の口」に堆積した化石によってつくられた「竜の口層」、370万年前の巨大なカルデラの活動によって生まれた火砕流堆積物「広瀬川凝灰岩」、そして、これらの上に築かれている河岸段丘等、宮城県美が建つ川内エリアは、長い時間をかけて自然がつくり上げてきた地質が集積しているということです。
川内エリアは、地層だけでなく、その上に立つ建造物にも地質の影響を見ることができます。たとえば、伊達政宗が築城した青葉城址を訪れると段丘の上に築かれていることが分かり、石垣に用いられているのは三滝玄武岩です。宮城県美術館も強固な地盤の上に建ち、設計当時の前川國男の言葉によれば、広瀬川をはじめとした周辺環境との調和を意識していたことは明らかです。
宮城県美術館は、東日本大震災での被害は非常に少なく、それは良質な地質に守られている建物であることの証明です。この仙台の風土が育んできた地質を活かした立地は、他には代えがたく、安全面だけでなく、景観の視点からも、私たちは現在の宮城県美術館とその立地が持つ魅力をもっと知る必要があると思います。」
講演②「長町―利府断層帯の表と裏」
大槻憲四郎(東北大学名誉教授/地質学) 司会:芳賀満
続いて、大槻憲四郎さん(東北大名誉教授)より「長町-利府断層帯の表と裏」と題してご講演いただきました。大槻さんの専攻は地質学で、ご専門は地震と断層に関することです。長町-利府断層についての基本情報から、現在における推論まで幅広くお話しいただきました。
「長町-利府断層については、西上がりの逆断層で約40kmにわたります。仮に断層全体が活動した場合、マグニチュードは7.0~7.5程度で、約2mの変位が生じると推定されています。これまでの研究から、活動の間隔は3,000年とされていて、最近の活動期は2,600~2,900年前であることから、私たちの研究グループでは『次の活動期が満期に近づいている』と推測していました。ここまでは「固有地震」の話で、長町-利府断層のみの活動で考えられることです。
この推測が「おそらくこの通りにはいかないだろう」となったのが、2011年に起こった東日本大震災による影響です。この大地震により、海底もかなり変位し、長町-利府断層に対する力の働き方も変わってきました。要するに、「すぐに断層が動く状況ではなくなった」ということです。
しかしながら、それは単に「猶予ができただけ」ということになります。長町-利府断層の活動による地震は、いつか必ず発生します。
私たちが取るべき態度は「断層とうまく付き合う」ということです。長町-利府断層については、すぐに動くわけではありませんが、その存在がなくなることはありません。ただ、今日のように専門家の話をとおして学習をすることはできるわけなので、こうした機会を重ねて、市民の側から「万が一に備えること」、そして「市民から考えていくこと」が、たとえば宮城県美術館の移転問題を考える際の、一つの視点になっていくのではないかと思っています。」
講演③「美術館の立地と環境」
井上研一郎(宮城学院女子大学名誉教授/美術史) 司会:尾崎彰宏
最後に、井上研一郎さん(宮城女子大学名誉教授)より、「美術館の立地と環境」と題してご講演いただきました。
「博物館施設は、度々自然災害による被災を経験しています。関東大震災では、東京帝室博物館が著しく損傷しました。東日本大震災では、津波によって陸前高田市立博物館や貝と海のミュージアムが全壊。昨年の台風では、川崎市民ミュージアムが、地下に設けていた収蔵庫9室がすべて浸水する被害を受けました。
しかしながら、周辺の自然とうまく付き合いながら鑑賞空間を提供している博物館もたくさんあります。あさご芸術の森美術館(兵庫県朝来市)はダムのそばに立地していますし、神奈川県立近代美術館葉山館は海のそばです。岩手県立博物館は内部空間からの岩手山の借景が素晴らしく、根津美術館(東京都港区)や足立美術館(島根県安来市)は美しい庭園が見事です。また斎藤清美術館(福島県柳津町)では作品の舞台となった光景が館内から眺められるなど、それぞれに「この美術館に行ってみたい」という気持ちを掻き立てるものになっています。
私は、これからの宮城県美術館に必要なのは、『発信力を高めること』『これまでの活動を堂々と継続していくこと』だと思っています。この美術館の魅力は何なのか、それをまだまだ発信しきれていないような気がするのです。また、宮城県美は創作室をはじめとした世代を問わない美術教育の普及が大きな特徴であり、こうした取り組みは絶やすことなく『堂々と』継続していくべきだと思っています。
私は美術館の魅力は、その中にある美術作品だけではないと考えています。それらを包み込む建物はもちろん、周辺の環境とも呼応しながら存在することが、美術館として重要なことだと考えます。そうした点で、宮城県美術館の魅力は、まだまだ掘り起こされる余地があると思います。今回、このような形で県民の皆さんの声が上がったことがその象徴でもあるように感じています。」
以上のゲストのご講演を踏まえて、後半の総合討論を迎えました。
今回の宮城県美集約移転のプロセスにおいて、「宮城県美スタッフの声が聞こえなかった」という意見については、井上さんから「現在の学芸員の仕事は非常に多様化していて、宮城県美の魅力を発信したくても、他の業務に忙殺されている可能性が高い。『声が聞こえない』というのは、意思がないわけでなく、向き合う時間を捻出すること自体が困難ということだと思うので、学芸員の力を発揮できるような体制づくりが急務であると考えている」というお話がありました。また、宮城県美の魅力づくりについては「美術館の機能も多面的であり、訪れた人が感じる価値もさまざま。だからこそ、美術館があることを『みんなにとっての価値』に押し上げるための取り組みが必要」と述べました。
「今回の集約移転については、移転候補地の地盤の弱さへの指摘が相次いだが、専門家としてどう捉えているか」という意見については、蟹澤さんからは「今は46億年の地球の歴史の中で一瞬のこと。『いつ地震が来るんだろう』と怯えるのではなく、状況をもっと謙虚に受け止めて向き合ってはどうか」というお話を、大槻さんからは「答えを得るためには長い時間がかかる。地震のことも『すぐに分からない』からこそ、絶えず議論が必要」というお話をいただき、県民が関心を持ち続けながら声を上げていく重要性をご指摘いただきました。
宮城県美術館設計時の前川國男建築設計事務所のチーフであり、佐藤忠良記念館の設計者でもある建築家の大宇根弘司さんも会場にお越しくださり、「今回の現地存続の方針決定は大変喜ばしいこと。現在、日本各地で同じような問題が起こっているので、この宮城県美の事例は参考になるはず。今後は、この決定に対してどのように応えていくのか、ぜひ成果を出してほしい」とエールを送っていただきました。
最後に野家啓一共同代表より挨拶がありました。
「今回の運動を通して、宮城県美がようやく『県民のもの』になったという実感を得ています。これは、県民や各団体による分野を越えた連帯の賜物です。いよいよ県との対話が始まり、県美ネットは改めて期待を背負うことになったと、安堵とともに身が引き締まる思いです。『これから』の動きについて、皆さんにもぜひ温かな応援を続けていただきたいと思っております。」
当日は会場いっぱいの来場者に恵まれ、宮城県美ネットのこれまでの活動に対する労いと、今後の取り組みに対する激励を、おひとりおひとりに頂いているような気持ちになりました。また、平時においてもこうして市民間で関心を高めていく大事さも実感した次第です。
ご来場いただいた皆様、ご登壇いただいたゲストの皆様、ありがとうございました!
ライブ配信の記録動画は以下のリンクからご覧いただけます
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以下は当日の板書記録です(全6枚)